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長袴(ながはかま)とは

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 長(ながはかま)とは袴の裾が長く、足を包んでもなお余る程裾を引いた袴のことです。長袴は、足の長さよりも30cm以上も長いものなので日常的に普段着として用いられているものではありませんでした。長袴は、江戸時代まで素襖(すおう)、直垂(ひたたれ)、大紋、長上下(かみながしも)などの礼装の時の袴として用いられていました。現在の卒業式レンタルしてはいている女子学生の袴とは全く異なるものです。

 長袴袴は、当時の武士の正装(礼装)の一種です。お城の中の殿中では決して走ってはならず、刀を抜くことは切腹にあたる重罪であり、また、謀反や刃傷沙汰を防ぐために、殿中差しと呼ばれる短い刀を差し、長袴をはいて歩きにくくしていました。それと同時に長袴をはくことは相手に対して戦意のないことを表すものでもありました。この長袴のために、殿中では自分の袴でつまづいたり、他人の袴を踏んでしまったりという苦労は絶えなかったといわれています。

 なお、忠臣蔵において浅野内匠頭が吉良上野介を討ち損じたのは、殿中差しと長袴のためと考えられています。というのも、長袴の浅野に対して、吉良は「狩衣」という衣装で逃げやすかったと伝えられています。また、かつてのテレビドラマでおなじみの、お白洲で長い袴を大きくさばいてから桜吹雪を見せる遠山の金さんがはいている袴も長袴です。

差袴(さしこ) とは

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 差(さしこ) とは、神職がはく袴のことです。差袴には、前後の腰(紐部分)には芯紙が入りますが腰板はなく、上指糸の飾りがあるもので、平安時代以来の「指貫(さしぬき)」の裾を切った「切袴」です。この差袴も、卒業式で女学生がはくレンタルの袴とは構造が大きく異なっています。

 男子神職の場合は普通の男袴と同じく、股のある「馬乗袴」ですが、巫女さんはトイレ問題から行灯袴タイプの袴を着用するケースがほとんどです。着用は腰骨に掛ける高さに合わせ、前で紐を蝶結びに結びます。差袴の構造は前後4つの襞で構成されています。股になる部分から内側の襞が直接股の部分へとなっています。これは馬乗り袴形式の巫女袴も同じ構造です。

 差袴の帯は装束を着用する際に邪魔になるので蝶結び部分を袴の帯に入れ込んでいます。
差袴は男性が着用するため、股の部分が一部縫いとめられておらず、スリット上の穴が開いています。

 また、神職は神職の資格である階位の他に等級があります。差袴の色はこの級の位によって異なり、階位とはまた別の関係にあります。学校で取得できる最高階位の正階でも初めは3・4級の浅葱から始まります。

 差袴の色と等級は以下の表になります。

●特級:紋付白(紋が一回り大きい)

●1級:紋付紫(紋の文様がはっきりしている)

●2級上:紋付紫(紋の色がほぼ同色系統)

●2級:無地紫

●3・4級:浅葱

 なお、特に清浄を必要とする祭の際には、身分に関わらず無紋の白狩衣・無紋の白差袴・ 烏帽子の「浄衣」を着用します。

平袴(ひらはかま)とは

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 平(ひらはかま)とは、男子袴(ばかま)の一種で、江戸時代の享保年間(1716~1736)に肩衣と袴を別裂で作る繋上下が現れ、やがて袴はそのまま独立したものとなり、肩衣がなくなりました。この独立した袴を平袴と呼びました。袴の長さは、足のくるぶしまでありました。この袴も現在の女子大生が卒業式においてレンタルで着用している袴とは、形状も長さも全く異なるものです。

 平袴は、江戸時代の享保~宝暦(1751~1764)頃になると、裾の長い小袖を着用するために袴の襠の位置が低いものへと沙汰に変化を遂げていきました。平袴のことを当初は、「町人仕立て」と称して武士は着用しませんでしたが、天明(1781~1789)の頃になるとその便利さから武家の間にも広がり、平袴は幅広い階層に受け入れられて流行を見せました。

 平袴の形状は、小袴の括緒(くくりひも)のない形の袴の一種で、まちの低いひだの少ない、幅の狭い袴で、相引の位置も同じく低くなっています。平袴は、座ったり歩いたりしやすく、江戸時代の普段着として用いられていました。平袴の生地も仙台平、紬、絽、木綿と多種に渡っており、当時、最も一般的な袴でした。平袴のまちの高くなったものを馬乗袴といいいます。江戸時代に平袴が用いられるようになってから、徐々にまちの低い平袴はすたれ、馬乗袴だけが用いられるようになりました。

裁付袴(たっつけはかま) とは

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 裁付(たっつけはかま) とは山袴(やまばかま)の一種です。裁付袴は、馬乗袴に近い形の袴で、裾部分に紐がついてぴったりとすねにフィットさせてある形の袴です。野袴、軽衫と違って背板があるのが特徴で、裾の紐なしでスリムなシルエットになっている裁付袴もあります。

 この裁付袴は、元々、地方武士の狩猟用衣服であったのが、運動性能に優れて具足を付けやすかったこともあって軍装としても使用されました。裁付袴は、織田信長の馬揃えにも用いられたことはよく知られています。

 裁付袴は、江戸時代に入ると武士が旅に出る時に着用していました。享保(1716~1736)の頃には、庶民の袴として労働着として使用されて民間でも流行していました。文化・文政(1804~1830)の頃には、特殊な職業以外では使われなくなりましたが、幕末には再び武士の服装として使用されます。タッツケという名前は山袴の名称としても使われ、裾が脚絆状に成っていない物でもタッツケの名前で呼ばれる物もあり、裾が脚絆状に成っていても別の名前で呼ばれているもあります。

 裁付袴は、「道中袴」、「山袴」、「黄門袴」、「庄屋袴」など地方によっていろいろな呼び方があります。現在においては相撲の呼び出しが着用しています。裁付袴は、卒業式に女子学生がレンタルしてはく袴とは全くの別物です。

軽衫袴(かるさんはかま)とは

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 軽衫(かるさんはかま)は、その昔日本に渡来したポルトガル人が着用していたピエロが穿くようなズボンを真似て袴にしたもので、軽衫という字もポルトガル語calsao(カルサオ)の当て字です。造りは馬乗袴を細くしたような形ですが、襞は馬乗り袴ほどはありません。

 安土桃山時代(16世紀初頭)、貿易のために来日していたポルトガル商人などの洋服姿を真似た南蛮衣装が畿内を中心に大流行していました。大流行といっても、同じ洋装をそのまま着たのではなく、袴と洋装を見事に混ぜ合わせて別の新しい服を作りました。当時、大流行した南蛮ファッションは、日本語化したもののが結構あり、JIBAO(襦袢)やCAPA(合羽)などと共に、南方型ズボンであるcalcao(カルサン)もその一つです。

 当時の日本人はその異型のデザインに大いに興味をいだいたようです。特に、織田信長始め名だたる武将たちは、戦闘用として動きやすいカルサンの機能性に着目しました。しかし、カルサンをそのまま着るというのでなく従来の袴と折衷したものを新たに創作したのです。

 軽衫袴はズボンの裾の狭いものから、裾にひだがなく裾幅の狭いももひきに近い袴のことを指すようになりました。軽衫袴は綿布で作られ、労働者や東北の寒い地方まで広く普及していきました。こうして、地方へ伝わっていくなかで、山袴、雪袴、猿袴、もんぺなど130くらいも呼び名があったそうです。阿波弁では「モンペ」のことを「カルサン」と呼んでいます。軽衫袴は、卒業式に女子学生がレンタルしてはく袴とは全くの別物です。

捻襠袴(ねじまちはかま)とは

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 捻襠(ねじまちはかま)は、馬乗袴の一種になりますが、タックをとって仕立てる馬乗り袴と違って、捻襠袴はギャザーを寄せて仕立てるという違いがあります。また、腰ひもに特徴があり、通常の袴は後ろ紐と前紐がありますが、捻襠袴では左脇の部分が輪になって後ろ紐と前紐がつながっています。つまり、十二単などの宮中袴に似ており袴の襞が裾までいかず、袴の帯の結び目が右横になるのが特徴です。

 通常装束用語において捻襠袴は女性神職の袴を指します。女性の神主の通常の装束姿としての捻襠袴の襞は斜めになっていますが、差袴や巫女袴と同じく前後4つの襞で構成されています。袴の色は男性神職と同じく上の級から紋付白、紋付紫、紫、浅葱の順になります。白無地の袴は学生、助勤神職、実習生が履いています。緋袴か濃き色の袴でない女性は巫女さんではありません。

 また、女性神職は、男性神職と同じ差袴を履くことはあっても行灯袴をはくことはありません。これは女性神職の職務の大半が神前奉仕なので、トイレの便宜よりも足裁きの便宜を優先するからです。なお、捻襠袴も、大学の卒業式で女学生がはくレンタルの袴とは、同じ「袴」という名前が付いていますが全く別物の袴です。

緋袴(ひのはかま)とは

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 緋(ひのはかま)とは、平安時代の女性の十二単衣(じゅうにひとえ)の装いにみられ、小袖(こそで)の上から着けられた深紅色など赤系統の色をした袴のことで、紅袴(くれないのはかま)とも呼ばれています。普通の袴の寸法と異なって非常に長く、丈は四尺(約152㌢)裾口の幅は三尺二寸(約122㌢)もあり、右脇でひもを結んで用いました。緋袴も、大学の卒業式で女学生がはくレンタルの袴とは行灯袴という点では共通していますが、全く別物の袴です。

 緋袴は、平安時代に女官が用いていた打袴・張袴を原形とする捻襠袴が本式であり、袴本体を胸高まで上げた後に紐を前後の腰を廻らせて右脇に片鉤で結び垂らすものでした。しかし、明治時代になると女学生用の袴として襠がなく、より着脱し易い女袴とも呼ばれている行灯袴が考案され、好評を受けて後に行灯型の緋袴も作られることとなりました。

 また、緋袴は、平安時代には幼女、江戸時代には未婚の成人女性には紅ではなく濃色の紫色の袴が用いられ、現在も宮中の装束や一部の神社の巫女装束にその名残が残っています。

 現在の緋袴は、行灯袴が主流で、今日でも巫女装束として使用されています。巫女の装束は、白衣の単衣の着物に緋袴です。単位の造りは浴衣によく似ていますが、袖の付け根が閉じてないので袖の中に物を携帯することが難しくなっています。巫女になるには、外見的なことを言うと、基本的にノーアクセリー、黒髪、ネイルもだめです。

舞袴(まいはかま)とは

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 舞(まいはかま)とは、200を超える流派がある日本舞踊や剣舞、民謡、浪曲などの踊りの場面で使われる袴のことで、踊り袴(おどりはかま)とも呼ばれています。舞袴は、能狂言の仕舞、舞囃子などを舞うときに使用される「仕舞袴」よりも普通の馬乗袴に近い外見をしていますが、一般的な馬乗袴の形が基本にはなっているというものの、立居の際に皺や襞ができないような工夫がされているのが特徴です。また、舞袴は、踊りの際に動き易いように脇開きが広い目に仕立ててあるのも普通の馬乗袴との違いの一つになっています。舞袴は、大学の卒業式で女学生がはくレンタルの袴とは全く別物の袴です。

 舞袴の種類としては、無地袴を始め四菱地に華紋袴、花菱袴、金襴ぼかし袴、縞袴など様々な種類があります。舞袴の生地にも正絹からウール、合成繊維まで様々なものがあります。こうした中から、演目や個人の好みや趣味に応じて、ピッタリな舞袴を選ぶことになります。

 踊りのお稽古用に袴の古着を購入する時には、茶袴ではなく舞袴・踊り袴を買うべきです。茶袴は、立ち座りで膝のあたりが擦れて傷んでいることが多いのに比べて、舞袴・踊り袴には質がいいものが多いからです。また、舞袴を締める時には、男性は腰に、女性はウエストに結ぶため性別により適応身長が異なりますので注意が必要です。

仕舞袴(しまいはかま)

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 仕舞(しまいはかま)は、主として能狂言において使用されている少し特殊な形をした袴のことです。仕舞袴は、仕舞、舞囃子などを舞うときに使用されることが多いためにこの名が付けられています。仕舞袴は、大学の卒業式で女学生がはくレンタルの袴とは全く別物の袴です。

 仕舞袴は、一般的な馬乗袴の形が基本にはなっていますが、袴の襠(まち)が低くなっており、中仕切りを高くすることで動きやすい構造の袴になっているのが特徴です。また、袴の布の合せに特別な方法が用いられており、一番の特徴は一の襞と二の襞の間が綴じられていることで、立ったときに袴に皺やれができないように工夫されている。さらに、腰板の材質が木製(主に桐が多い)となっています。

 演能の際には、囃子方、後見、地謡などは紋付に仕舞袴を着ることが多く、裃を着用する場合にも袴の部分は仕舞袴の仕立てとすることが多く見受けられます。各流儀を通じて仕立て方に大きな違いはありませんが、唯一、観世流梅若家系統だけは、仕舞袴の襞を縫い合わせない袴を使用しています。

 なお、一般の馬乗袴や日本舞踊で用いる舞袴を仕舞袴と呼ぶことがありますが、いずれも能楽の仕舞袴とは別な作りの袴です。

 行灯(あんどんはかま) とは、筒状に輪になった襠(まち)のない,股(また)のない袴のことで、いわばロングスカートのようになっています。江戸時代において下級武士や足軽が用い、行燈のようにはかまが筒になっていることからこの名前が付いています。行灯袴は、明治時代以後、日本人の服装が洋装に変わるまで間、男女を問わず学生や書生に愛用されました。現在女子が用いる袴がすべてこの行燈袴であることから女袴(おんなばかま)とも呼ばれています。

 行灯袴は、袴が武士だけではなく町人の間でも穿かれることの多くなった江戸時代後期に発案されたものであり、当時においては、略式の服装の袴とされていましたが、現在では馬乗袴と同じく礼装にも用いられる袴となっています。

 現在、大学や短大の卒業式で振袖とともに女学生が着用している袴は、この行灯袴です。卒業式では、この行灯袴に草履ではなくブーツを合わせている女学生を最近では多く見かけるようになりました。大正ロマン時代の女学生をイメージしているようです。現在の卒業式においては、かつての振袖の着物姿よりも、むしろレンタルの行灯袴姿の女学生がほとんどを占めています。

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